自己満足日記

蛙鳴蝉噪

本当の異文化理解とは

今日では異文化理解を推進する風潮があります。めちゃめちゃいいことだと思います。日韓関係の悪化などもあって「みんなでお互いに分かり合って仲良くいこうぜ!」みたいなのマジでいいと思います。でも、どこまでの異文化を許容できるかっていうのも人によって違うと思うんです。

例えばの話ですけど、アマゾンの密林の奥深くに神様への生贄として村人を殺す村があったとしましょう。(あくまで想像しやすいようにアマゾンを引き合いに出しただけです。そう考えると我々の中には意識せずともアマゾンに対して偏見があることになりますが。)それはたとえ非人道的で到底許されない行為であったとしても彼らにとっては紛れもない伝統であり文化です。それを我々は許容できますか?っていう話です。それをどうにかこうにかして理解していくのが本当の異文化理解につながるんじゃないかなって思いました。

日本に来た外国人が味噌汁を啜る日本人を見てガチギレするみたいなそういうのも大事ですけど、本当に心の底から理解できない文化っていうのもこの地球には存在してると思います。それをどうやって理解していくか。理解できないにしても少なくともどこからが異文化理解の対象なのかっていう線引きが必要だと思います。

めちゃくちゃ難しい問題ですけどね。俺には今んとこわからんから頭いいひと頑張れ~